立派に過去になっている

ふとここの存在を思い出し開いてみた。結婚した年から子を産む1ヶ月半前までの事が断片的に書いてあり、思ったより書いてて驚いた。って2,3年前というのは立派に「過去」になるんだねと思い驚いた。

 

ひとのおやになり2年が経って、最後のブログで書き記した会社は育休明け、復帰させてもらう事が出来ずに辞めた。結果、それは最高に結果オーライな退職になったので後悔はしてない。辞めて本当に良かった。

 

退職後、転職活動をして決まった今の会社に勤め始めてからは、今月末で早1年が経つ。前職とは大違いの大きな会社。綺麗な高層階のオフィスでアナログのアの字もなく、前職でFAXだ手書きの帳簿だとやってた世界とは別世界の、全てがシステマチックに整い明確になった世界で始めた仕事はとても合っていて、苦痛は全くない、楽しい。人と人との関わりの中で敢えて不快を与える人間も居ないし、それが本来正常なのだと思うけど、あまりに悪意に触れる事が多かったのでそれすらも嬉しい。

 

子も保育園に慣れ、仕事、育児、生活の基盤が整ってきたところでコロナ禍になりあれよあれよと自宅待機、そこから2ヶ月し在宅勤務が始まった。2ヶ月の間は私、主人、息子の3人で24時間60日を過ごした。家族の時間、stayhome、なんて言えば聞こえは良いけど実際いい事もあれば同じくらい苦もあった。家族とはいえそんな長時間ベッタリと、しかも50平米程度しかない家の中にこもりきり、出掛けたとて近所の公園で、気を張りながら過ごさなければいけない。そんな成約の中で3人、うち1人はまともに言葉も通じない状態で過ごすなかで気持ちの通わない大人までいるとなるとそれはもうキツかった。意思の疎通がスムーズに出来たら良いのにねと心から思った子供にじゃなく大人に。極論子供と2人きりであればまだ良かった。それくらいにまで嫌になった。

 

子が保育園の登園を再開した今は、今度は24時間30日余りを今度は一緒に過ごしてる。そんな長い時間一緒にいること、10年以上の付き合いで初めてなんだけど、デフォでコミュニケーションが取りやすいならまだしも、そうじゃない。となると居る時間だけコミュニケーションが増えそこで生じたエラーも溜まる、それがまあすごい疲れる、疲れるめちゃくちゃに。大体の人と成り立つコミュニケーションが家庭内において成り立たない苦痛は計り知れず辛い。ということを呟けば、監視される可能性があり、真剣に困り悩んでいるのに悪口と見なされてしまい本音は闇の中。だから私は陽な事しか基本、発信しないようになった。別にそれはそれでいいんだけど、その動機が嫌だなと思っている。

 

多分本当に疲れているんだと思う文章に書き連ねるくらいだから。もうひとつも話しかけないでよと思うってしまう。珍しくしんどいと素直に言えば股から血も流したこともないくせにホルモンバランスのせいだと言う。これ本当に嫌。そもそもホルモンバランスがガタガタだとしたって「要因」がなければしんどくなるなんてなく、その「要因」そのものにそう言われちゃ一層しんどいんですけどね、といったところ。あー疲れた久しぶりにゲロした気分。あー疲れた、本当に疲れたんだよ、本当にね。

 

優しい人がスキなのにね。